慎太郎とゆず作り   ゆず生産王国北川村のゆず物語
●中岡慎太郎が奨励した柚子づくり
北川村には昔から柚子が自生していたようで、その栽培を奨励したのが庄屋見習い時代の中岡慎太郎でした。

土佐では安政元年、翌2年と相次いで地震に見舞われ、江戸から呼び戻された慎太郎は、病気の父に代わり、農民のための色んな手立てをする。田畑を立て直し、山に木を植え、ロウを採るハゼとともに柚子を植えることを奨励した。
飢餓になると、この山の中で農民が塩を買うこともおぼつかず、味噌や醤油も作れない。そこで慎太郎は柚子を塩代わりに防腐や調味料として使おうと考えた。日陰で育つ柚子を家の裏や山すそに必ず植えることを推奨。今も山すそに柚子の古木が多いのはそのためだ。
中岡慎太郎

しかし慎太郎の死後、村ではその名を誰も口にすることはなかったとのこと。郷土史家の故・前田年雄さんは言う「桃栗3年、柿8年、柚子はすいすい15年、柚子の大馬鹿18年とか言われ、なかなか実を付けん柚子を植える者は大馬鹿じゃと言われる時代になり、いつの間にか慎太郎と柚子との関係も打ち捨てられてきた」

今、慎太郎が奨励した柚子が村を支えている。


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